デジタル・アドバタイジング・コンソーシアムを退職しました
去年末のアドベントカレンダーぶりです。
2022年2月28日をもってデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)を退職しました。
2016年の新卒で入社してほぼ丸6年世話になりましたが、今回タイミングというかキリが良かったというのもあり転職ということになりました。
いい機会なので棚卸し的に退職エントリを書き留めておこうかと思います。
何してたん?
そもそもDACという会社がなにやってるかってところから話した方がいいですかね。
DACはまぁ要するに博報堂傘下のweb広告周りの色々をやってる会社です。
元々はweb広告の広告枠の売り買いをメインでやっていたみたいなんですけど、配信枠の売買が自動化されてきたにつれ配信システムの開発にも手を出してきた...という感じです。
入社したときにはシステム開発等はすでに行われており、僕は入社してからほぼずっとLINE公式アカウントの配信システムの裏側でいろいろやってました。
特に僕が入社した頃からエンジニアの採用には苦心していたようで、オフショア開発やベトナムの情報系学生をリクルートして日本で雇用するみたいな流れが徐々にできていました。
そんな会社事情は知らなかった新卒時に当時の上司に「将来的には海外で働いてみたいすねー」と言ってたら、2年目にはオフショアの窓口担当になり、4年目にはベトナム拠点へ出向と相成りました。
とりあえず上司にやってみたいこと言ってみるもんですね。
タイミングが良かったというのもあるけど、結構大きな会社でそこそこ自由にやらせてもらったとは思います。
ベトナム出向時は現地メンバーのマネージャーとなっていろいろ苦労もしましたけど、それはまた別の話で。
ざっくり書くと以下の感じですね。
2016〜2017:DAC入社、LINE公式アカウント周りの開発(某飲料メーカー自販機連携システムの開発とかアパレルブランドの会員証機能とか) 2017〜2018:同システム顧客向け共通機能開発のチームに振り分け、ベトナムオフショアの窓口この辺りから始める 2018〜2019:博報堂アイ・スタジオに出向(納品管理部で脆弱性診断とかテスト設計とか) 2019〜2020:ベトナム出向(担当は元々やってたLINE関連の開発チーム) 2020〜2021:同部署のマネージャー就任、この年の旧正月以降帰れなくなる 2021〜2022:9月にワクチン 摂取の名目で帰国、そのときビザ関係で戻れなくなったのでそのまま本帰国
なぜ辞めるのか
ベトナム出向中から感じ始めてはいましたが、いろいろと伸び悩んでいるなと感じたところが第一です。
出向中でのミッションはエンジニアとして技術を向上させることよりも、管理職・拠点長の補佐で会社拡大をリードすることだったので伸びていったのはその辺りのスキルですが、web広告業界やら世情を見ているとなかなか辛いものがあるなと感じ始めていました。
というか、日本のweb広告業界は載せるプラットフォームやシステムが外国に振り回されているというのがキツイなと感じています。
cookie規制やGDPRみたいな感じで欧米に振り回される...といった状況下で自分たちで市場を作り出せず後追いしかできていないというもどかしい状況が続いているのが現状です。
提携先にロシア企業があったはずだけど大丈夫なのだろうか...
去年末には一時帰国のつもりがうっかり本帰国になってしまったので、これはそういうタイミングだなということで転職を決めました。
まぁ後はお賃金の問題ですね。
出向してから出向中は給料上がらないっていうのを後出しにするのは許されないし、グループ会社との併合でのベアが出向中に適用されないのは許されない。
そして帰国してもほぼベア分しか上がらず出向中の評価はなんだったのかとなるのも許されない。
今後について
リクルートに入社します。
SNSで元弊社って肩書だけでドヤるようにならないように注意しないとですね。
当面は今まで通りベトナム対面のブリッジエンジニアとして動く予定です。
たぶん前職とはオフショア拠点の扱い方とか違うんだろうなーとか、出向で会社が変わることあっても全然違う文化のところに行くのは初めてなので多少の不安はあります。
そもそも1月半ニートしてたから社会復帰のリハビリがまずしんどいと思ってます。
とはいえずっといるような文化の会社でもないようなので次を見据えて動くようにはしたいと思います。 先輩から新しいビジネス立ち上げてみないかという話もあったりしたので、その辺りも今後考えていきたいなー。
とりあえず恒例のやつ
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3H18GW08KSVI8?ref_=wl_share
ロックダウンシティからの脱出
この記事はmohikanz advent calendar2021の18日目です。
前日...ないので前の記事は15日目のlivaさんに記事ですね。
定期的に本読んでるのはえらい。
さて、今回の記事ですがネタ枠です。
知ってる人もそこそこいるとは思うんですけど、2019年の5月からベトナムに赴任してました。
去年の2月の旧正月前からちょうどコロナが話題になった時期が最後に日本に帰れたタイミングですね。
まぁタイトルに書いてある通り脱出はしているので今は日本でぬくぬくとこの記事を書いています。
7月下旬
定時後にいきなり全社員に通知がきます。
「政府通達で明日から出勤できなくなるから全員リモートな」
いつもの流れですね。ベトナムは政府の力がとても強いのでこういう強行策はしょっちゅうです。
すでに何度か経験しているのでみんな慣れた手つきでリモートの準備を始めます。
僕も「また1ヶ月くらい外食できないなー」ぐらいにしか考えてませんでした。
8月上旬
雲行きが怪しくなる。
アパートの管理会社から
「明日から買い物を行くときは許可証を携帯してね」
との連絡がくる。
下の方に書いてある日付が買い物可能な日。
そうなんです、いつでも買い物が行ける訳ではないんです。
便宜的にロックダウンと一括りで言ってますが、ベトナム政府が公布する措置には何段階かあって徐々に厳しくなっていきます。
- レストランやスポーツ施設の店内利用禁止
- タクシー、デリバリーの禁止 & 屋外の運動に時間の制限がつく
- 生活必需品の買い出しに許可証が必要になる
- 外出可能区域の制限
- 完全外出禁止
おおまかに分けるとこんな感じですね。
この時点では3段階目で、まだ過去にも経験あったのでまたか程度のノリです。
7月末に行きつけのレストランで冷凍食品を作っておいてもらったのはかなりのファインプレーでした。
8月中旬
新たな政府通達が出る。
「4日後から1週間程度ダナン全域で完全外出禁止にするから食糧を確保しておくように」
お、このパターンは新しいなとなりましたがなかなかにやばい状況だったので仕事をさぼって買い出しに行きました。徒歩で。
近所のコンビニはダメでしたね、完全に生鮮食品は売り切れです。
数キロ歩いて大型のスーパーに行ったけど、そこも入場制限がかかっている上に棚はスカスカで愉快な状況でした。
ろくに外出できない状況になると嗜好品というものがいかに重要かわかるんですが、今回は酒買ってる余裕もないので食糧だけで数kg買い込んでよしとしました。
普段はバイクがバンバン走ってるんだけど、公安以外まったく人の往来がなくてビビりましたねこれは。
写真撮らなかったけど、交差点にAKもったおっさんが門番みたいにいるんですよ。
8月下旬〜9月上旬
そろそろ買い出しできるかな?と思っている矢先
「アパートで陽性者が出たから2週間アパート全体隔離な」
という通達が出る。
こいつはヤベーぞ、食糧が尽きるかもしれんと思い始める。
しかしそこはアパートの管理会社も想定内。なんと配給をしてくれるとのこと。
そして来たる配給、鳴る呼び鈴、玄関を開けるとそこには...
「キャベツ1個じゃねーか!?それも袋にすら入れずに直置きで!!」
いやマジでびっくりしましたね。
独り身の世帯も4人家族も等しくキャベツ1個ですよ?
烈海王の「そうきたかァ~~~ッッッ」みたいな顔になってもしょうがない。
後日改めて管理会社から購入制の配給やるからメニューから選んでねと案内がきました。
えーと...サツマイモの葉っぱとかツルムラサキはどう調理したらいいんでしょうか。
まぁ葉物野菜なんて味覇で炒めればなんでも食えるよね。
9月中旬
一向に隔離が解除されないままコーヒーが切れ割と絶望する。
ウォーターサーバーのボトルはとっくに空になっているので水道水を煮沸して飲用にあてる。
マジで風呂付きの部屋にしておいて良かったとこの時点で心底思う。
このあたりから不眠症気味になり1日の睡眠時間が4時間程度になる。
そんなやばい状況なのでとうとう上司が「隔離が明けたら帰国しよう」という話が上がりなんとかメンタルの持ち直しに成功。
その時の状況がこれ
川の右側の黄色に孤立してるブロックが家のあるところ
— waku (@waku_tkd) 2021年9月12日
この封鎖が解除されれば帰国できるはず pic.twitter.com/gcuDTLDs8o
そうなんです、まだ本題の脱出までいってないんです。
9月下旬
ようやくアパートの隔離が解除されるということで早速帰国の手配にとりかかる。
なんとダナンの空港は閉鎖されているのでハノイまで800kmほどを陸路で移動とのこと。頭いかれてんのか。
ということで会社にハノイまでのドライバーを手配してもらう。
あと県を超えるための書類を政府に発行してもらう必要があるとのことなのでそれも手配してもらうことに。
急いで発行してもらったからたぶんコネと袖の下フル動員だったんだろうな。
と、いうことで9月22日発、24日日本着の旅程が組まれる。
出発当日
朝一で陰性証明証を発行してもらうためにPCR検査を受けに行く。
隔離中は週一のペースで辻PCR検査を受けさせられていたので慣れたもの。
17時頃に改めてドライバーが迎えにくる。
自分と社長とドライバーだけなのでバスなのではなく普通の乗用車。
噂には聞いていたけどこれに15時間以上乗ってんのか...とげんなり。
陸路移動中の様子はTwitter見てもらうのがよいかと。
エクストリーム帰国開始
— waku (@waku_tkd) 2021年9月22日
空港着いたときは出発からおおよそ20時間経っていましたとさ。
到着時空港はほぼ人がおらず、チェックインカウンターも開いていない状態でした。
空港wifiは制限時間があるからどうしたものかなーと思案していたところ、なんと昔出張で使った店のwifiが繋がるではないですか。
店自体は閉まっているけどwifiは使えるなんて...悪いなと思いつつwifiを使わせてもらうことに。
5, 6時間ほど待たされようやくチェックインできる頃には手持ちの電子機器のほとんどがバッテリー切れ状態。
なお、今回はANA便を使いました。
CAさんが「お飲み物なににされますか?」と聞いてくれたので「ビールは何がありますか?」と聞いたところ
「スーパードライ、一番搾り、プレミアムモルツ、黒ラベルがあります」とのこと。
最高か?ベトナムでうっっっっすいビールを飲み続け日本のビールに飢えていたとこでこの気遣いは最高か?ってなりました。
調子乗っておかわりもらってしまいましたよ。
あとは何事もなく無事に日本ついたんですが、最後に罠が。
実家が改装工事されたので鍵が変わってて入れねぇ!!
2019年海外勤務のなんやかんや
この記事はmohikanzアドベントカレンダー24日目の記事です。
前日の記事はexpajp先生のDDD本読書会の感想です。
さて、僕は社会人4年目ですが今年からベトナム中部のダナンという都市で海外勤務を始めました。
自分が異邦人として扱われるのは幼少期以来で、なおかつ生活基盤を自分で構築していくというのは初めての経験なのでこの機会に振り返ってみようと思います。
大事なことですが、この記事で書かれているベトナム人への感想はあくまで個人の意見です。
なお、この記事が投稿された次の日には日本に一時帰国します。
タイムライン
2019/01
今年に入った時点ではグループ会社に出向中。
本社の新年会に顔を出したところ、現上司・ベトナム支社の社長から「出向のスケジュール決まったから」と内定のお達しをもらう。
2019/02~03
グループ会社出向期間の終了が近づいてきた&担当案件のリリース間近だったので無事に終わらせられるように奔走。
2019/04
本社復帰。
期初時点でオフショア推進室へ異動になってなくてキョドる。
GW終了から出向開始だったので予防接種などをハイペースで受けることになる。
月末あたりから友人達が壮行会的に飲み会を開いてくれていたので結果的に2週間くらい毎日飲み会だった。
某CMで「今、シンガポールにいます」っていうのはなんで事前に連絡してないの?っていうマジレスをしてもいいと思ってる。
2019/05
今年はGWを満喫する権利を手に入れてご満悦。
出向すると基本的にベトナムのカレンダーに合わせるので来年はGWがなく、その間に社員旅行とかが入るらしくめんどくささっそく異国の洗礼を受ける。
赴任直後はまだ家の契約が完了していないと言われ、2週間程ホテル生活をすることになる。
赴任直後の飲み会で早速カエルの肉やバロット(孵化寸前の卵のゆで卵。見た目のグロさに定評がある。)などの慣れない食べ物の洗礼を受ける。
あと基本的にベトナム中部の食べ物は辛いということを知る。
5月末には自宅の準備が完了。
55m2の1LDKで一人暮らしには広い程の部屋を会社持ちで住めるっていうのはいいな!
家賃(水道・ネット使用料込、週2でハウスクリーニング)の負担がない、会社から徒歩10分というのはかなりQoLが上がることが判明。
2019/06
ベトナムは乾期なのですごく暑い。
ちょっと慣れてきたので、休日にビーチに遊びに行く。
ベトナムのビールは基本味が薄い上に氷を入れるせいで水みたいになるのだけど、浜辺で飲むとこれが美味く感じる。
ビザ更新のために日本に数日帰国する。
再度ベトナムに戻って、滞在許可の申請などの処理中に会社に預けておいたパスポートをロストされかける。
「これはハノイまで30時間耐久陸路の旅か...」と覚悟を決めかけた辺りで奇跡的に発見される。
この時期から会社の人間であっても極力自衛した方がいいのでは説が出てくる。
2019/07
ベトナムは1~6月が上期、7~12月が下期で、月初に下期キックオフパーティーが実施される。
本社のお偉いさんやインドネシア拠点のお偉いさんがきたりする中、末席に下っ端が座らせられて居心地が悪い。
現地メンバーと飲んでるフリして日本人だけの二次会をサボろうとしてたら呼び出しをくらい連れて行かれ無念。
ダナン拠点でのキックオフパーティーの翌日はハノイに飛んで同様にキックオフパーティーに出席。
ハノイ人の方がダナン人よりも酒の飲み方が大人しいことを知る。
ついでにハノイ拠点の見学をさせてもらったが、それ以前にハノイの渋滞がすごくて圧倒される。
ダナンに戻るさなか、飛行機の搭乗口がいつの間にか変わっていたり、dive outして別の空港に一時的に着陸するなどこいつら大丈夫か?という懸念を植え付けてくれる。
6月の一時帰国時点でロードバイクを持ち込んでいたので、この時期からダナンでサイクリングを始める。
ホイアン方面は平地のストレートで片道30kmくらいでちょうどいいが、日焼け対策をしっかりしないと乾期は日焼けがひどいことになる。
パンクして自転車を押して帰っていたら、知り合いでもないおじさんが「後ろ乗っけてやるよ!」と言ってくれすごく助かった。
ただしロードバイクを担いで、バイクにニケツである。交通法規とは。
2019/08
台湾拠点の内部向けシステム開発の依頼を受け、要件整理のために出張。
台北には深夜についたが、コンビニの光を見て文明を感じる。
あと日本製品がたくさん売っていてついカルピスを毎日飲む。
8月末から乾期から雨期に入り始め、毎日のようにスコールが降るようになる。
だいたい夕方に降るので退社時刻に降らないように祈るばかりである。
2019/09
mohizの友人たちがダナンに遊びにくる。
ホイアン観光ではスコールにぶち当たってしまい、タクシー移動がもはやボートクルーズ状態。
友人が訪問してくれるのは気分転換にとても良いし、補給物資の調達にとても助かる。
ほぼ同時期にミャンマーにいる親父殿が日本帰国に合わせてダナン襲来。
社長を入れて三者面談をすることに。なんで社会人になって三者面談してるんだと思う。
この辺りで社内のネットワークが不安定になって、なぜか社長と情シス的なことをすることになる。
2019/10
本社のプロジェクトメンバーがダナンに出張してきたのでアテンド。
ベトナムメンバーがノリで犬肉を食べさせる。臭みが強くて美味しくない。
月末に担当プロジェクトの新規機能リリースと台湾の案件の初期リリースが被り忙しくて記憶があまり残っていない。
2019/11
月初に社長の娘さんの誕生日パーティーがあるというので参加。
10名を超える多国籍な少年少女相手にどうしたものかと悩み、switchのスマブラを持っていったところ少年少女大歓喜。任天堂すごいわ。
中旬にTRPGのオフセッションにオンラインで参加する試みをやってみる。結果Googleのハングアウトが一番安定した。
セッション中から体調に違和感を感じる。
セッション翌日に明らかなおたふく風邪の自覚症状が出る。
月曜日に通訳さんに病院につれてってもらい、検査を受ける。大丈夫だろという判断だったので自宅療養をする。
2,3日寝ても回復する兆しがなく、腹痛もひどいため再度検査。精巣上体炎を併発して入院。
通訳さんが家で食事を作ってくれたが、和包丁を雑に扱うのでキレる。
1週間ほど入院と言われ病院でおとなしくしていたが、台湾の案件などは判断できる人間がいなくなってしまうので社長に引き継ぎをする。
リンゲル液を点滴中にありえないほど発汗したり、熱が41℃まで上がったり夜間に体が痙攣するなど死を覚悟する。
入院中にベトナムメンバーが見舞いに来たいと言ってきて、感染るからこなくていいと伝えると「罹患歴あるか予防接種あるメンバーだけで行くから」と言われる。
感染源が会社のメンバーというのはわかりきっていたので正直顔を見たくないので、「ゆっくり休みたいので来ないでください」と伝え見舞い拒否。
数日後結局見舞いに来て、こいつら何なんだとキレる。
退院後、検査のため日本に帰国。親の飯がうまい。
2019/12
日本から戻り出社開始するも、未だに感染源から謝罪はなく不信感は募る。
口の悪い人事総務のおっさんが精巣上体炎の原因を性病と軽口叩いたせいで日本で変な噂が広まる。
モラルもクソもねぇな。帰国したらコンプラにもしもしするか。
3週間ぶりに仕事をするのと、ベトナム人やおじさんへの不信感でだいぶモチベが低下する。
体調の悪さとメンタルの悪さが連動することを痛感。
生活面での文化の違い
食生活
ローカル飯では外食がめっちゃ安い。
フォーとかは1食150円くらい。
ベトナムの麺料理はフォーくらいしか知らなかったが、結構種類がある。
ダナンなどの中部ではフォーよりもミークアンなどのまぜそばっぽいのが有名。
あと中部の食事はだいたい辛い。その上付け合せのように出てくる生唐辛子をみんな齧っている。
飲み会では一気飲みがまだ全盛期。ただし女性が飲み会で飲酒をすることは稀。
一気飲みをする人を決めるゲームをしようと言われてランダムに人を決めるアプリを使うだけという雑なことをやりだすので、日本のコール文化でも広めてやろうかと思う。
日本料理や洋食は観光客値段だが、一人で食事をする分には3,000円もあれば酒飲んでも十分。
地元のスーパーでは醤油ぐらいは手に入るが、味噌や他の調味料は手に入りづらいので専門のスーパーで入手するしかない。
値段は日本の3,4倍のうえ種類は少ないので悩みどころ。ハノイやホーチミンにはイオンがあるので結構入手が容易らしい。
街の様子
Uberは撤退してGrabというアプリが支配的。
事前に料金が決まるのでタクシーみたいにボラれる心配がなく安心。
ドライバーに話しかけられることはしょっちゅうで、お前結婚しているのかなどプライベートなことにグイグイ入ってくる。余計なお世話だ。
よく現地メンバーに「ベトナム人と結婚しなよ」と言われるが、個人の感想としては絶対にゴメンである。
道路はそこそこ整備されているように見えるが、歩道にはバイクの駐車が多く極めて歩きづらい。
また下水などのインフラ整備はろくにできていないため、多めの雨が降るとすぐに冠水する。
建物なども外見は整っているように見えるが、基礎工事をしてない影響だろうか経年で傾いているものが多い。
ベトナム人の朝は早く、6時くらいには多くの人が活動を始めている。
家の斜め前のパン屋が開店セレモニーを6時から始めたときはうるさくて殺意がわく。
総じて善人が多く親切にしてもらえるが、それがありがたいときとそうでないときのズレが大きい。
仕事面での文化の違い
時間感覚
基本的には残業はしない。これはいいこと。
昼休みは基本12~13時固定で、食後はシエスタをする。
頼んだタスクいつ頃終わりそう?って聞くと全くバッファをもたない最速の時間だけ返してくれる。
しかも遅れそうになっても向こうからそのことは報告しない。
会話
基本的になんの話題であるかの前置きをしない。
さらに結論を言わずに詳細を長々と話をするので、何についての詳細を説明されているのか混乱する。
途中で遮ってYes/Noでこちらの質問に答えてくれと言っても、Yes/Noを答えるための説明が始まるので非常にストレスがたまる。
MTG中に個別メンバーに意見を聞いてもリーダーやマネージャーが全てインターセプトして話そうとするのはチームだけの文化か。
学生までの教育内容に少し聞いてみたところ他人になにかを説明するという訓練を受けていないらしく、アウトプットとして説明をすることが非常に下手。
完璧主義というか、問題が表面化するまでコミュニケーションをとろうという人間が少ない印象。
またベトナムと日本はどちらもハイコンテキストな言語体系ではあるが、省略される部分が大きく異なる。
日本語では「〜について、(〇〇が)(△△を)する」という感じに()の部分が省略される。
一方でベトナム語では「(〜について)〇〇が△△をする」というようになる。
突然席までやってきたベトナム人が上記のように会話を切り出すので、都度「何の話?」と確認が必要になってしまう。
権限意識
(ダナン特有かもしれないが)持ち物や権利の所有権についての認識がほとんどない。
不在時にMTG用のヘッドセットを勝手に別チームのメンバーが使っていて紛失しかける。
リリース作業の都合でベトナムメンバーに本番作業の権限を付与したところ、リリース予定のない日に勝手に本番環境を操作してしまう(しかもマネージャークラスの人間が)。
当然社長激おこ。ベトナム人メンバーの本番作業権限を剥奪する方針になる。
仕事意識
割とお決まりな「言われたことはやる。それ以上のことはやらない。」という認識がほとんど。
このことについては日本的な文化を押し付けるものではないが、言われたことについての確認すら始めの頃はしておらずコレジャナイが多発していた。
確認作業はフローに入れないとダメなんだよという日本では新卒の頃に言われそうな教育をマネージャークラス含めてやることに。
逆に細かいところを決めてもらわないと困ると言われることも。変数名とかファイル名まで聞いてくるなと思う。
赴任当初は成果物の品質という点についての意識もだいぶ低く、正しく使った結果正しく動きさえすればいいという認識。
人間が間違った操作をするなどは基本的に考えていなかった模様。
また上記の説明の話にも通ずるが、どういう意図でその設計をしたかなどが全く読み取れないドキュメントを量産してくれてレビューなどが非常につらい。
まとめ
赴任して半年が経過したが、文化がどう違うのかを認識するのにほとんど費やしてしまった、というのが振り返っての印象。
改善とか効率化っていうのを来期から早くしろと社長からせっつかれる。
明日はアドカレ最終日。
alarkyさんによる盛大なオチに期待しましょう。
CoCで役に立つリアル知識10選
この記事はmohikanz TRPGアドベントカレンダーの22日目です。
前日はnatsuoさんの 神or神話生物を殺す3分間クッキング
のはずです。公開時点では内容が不明。
去年からTRPGに手を出したので、セッション中に役にたったリアル知識について解説してみようと思います。
よくやるのはクトゥルフ神話TRPG (CoC) なので、CoCの技能ベースで書いてみます。
別にリアル知識なくても技能ダイスで情報を取得することは可能ですが、職業に合わせた知識を触りだけでも知っているとRPにコクが出せます。
シナリオ制作するときのギミックとしても何かと知ってた方が便利なんじゃないかなぁ。
医学 (医者・鑑識など)
- とにかくCoCは死体がよく出てくる
- 死因の特定(外傷の有無・欠損部位の調査など)
- 成人男性でだいたい3L血液を失うと死ぬ
- 有名な精神病の実験とかは覚えておくと便利 (ストックホルム症候群・不思議の国のアリス症候群など)
薬学 (薬剤師・製薬会社勤務など)
生物学 (動物園飼育員など)
- 人じゃない生物に襲われてそうなときに
- 熊や猫科の爪は5本、爪痕の本数やサイズで一般生物か神話生物かふんわり判断できる
言語 (高めに技能値振るなら通訳など)
天文学 (地質学者など)
- 無人島などのクローズドで使える
- 季節毎の星座と大体の時間で大雑把な現在地の特定
- 北半球・南半球特有の星座も覚えておくと吉
歴史 (社会科教師・学芸員など)
- 文化史とか知ってると現代物以外のシナリオでRPにコクが出せる
- タイムスリップ物では史実とのズレを察してシナリオの本筋が見えるかも
- 1920年代アメリカのは禁酒法時代だったり、ジャズが流行してたり、移民制限してたりでカオス
芸術/絵画 (美術賞・絵描きなど)
- 宗教画とかはモチーフにしやすそう
- 大淫婦バビロンってシュブ=ニグラスっぽいって思ってる
- 結構歴史と絡んでくる
芸術/音楽 (作曲家・ミュージシャンなど)
- クラシック系の音楽史は知ってて損はないはず
- オーケストラに使われる楽器は一通りの知識としてもっておこう
料理/製作 or 芸術 (料理人など)
- 意外と料理をするシナリオは多い
- レシピ自体は知らなくても良い
- フレンチ・イタリアン・中華・和食の料理の傾向は知っておくと何かと便利
- 実践できなくていいからテーブルマナーの基本知識はあるといい
クトゥルフ神話
- ある意味フレーバー知識
- (察し)ってなり黒幕がわかる
- シナリオ作るならルルブ+ラブクラフトの原本読むと深みが出るのでは
以上、もしかしたら役に立つかもしれない知識10選でした。
異論は認める。
明日はruoruaさんの CoC7版について
です。
これから始めるTRPGシナリオ作成フレームワーク
この記事はmohikanz TRPGアドベントカレンダー20日目です。
前日はruoruaさん、明日はnatsuoさんの記事です。
TRPG初めてそろそろ1年以上経過したので、脱初心者と言ってもいいかなと思ってます。
脱初心者ともなればKPやったり、自作シナリオ作ったりというのにも手を出してみたくなる時期でしょう。
という訳で今までシナリオ作成したことないけど、こうやって作ってみようかなっていうフレームワークについて書いて行きたいと思います。
土台作っておいおいアップデートすりゃいいんだろの精神でGo。
あ、基本的にCoCについてのシナリオを想定しているのでそこだけ留意してください。
オチ/黒幕を決める
起承転結の結をまず決めてしまいましょう。
オチさえ決まってしまえば後は必然性と意図的な偶然をもたせてあげるだけです。
CoCのオチ/黒幕としては大雑把に分けると
- 神話生物が意図的に探索者を巻き込んでいくスタイル
- 人間がなにかの目的を達成するために探索者が巻き込まれるスタイル
のようなパターンになるかと思います。
前者であればニャルラトホテプのような邪神が黒幕として登場し場を作るし、後者であれば目的に沿った邪神や神話生物を召喚したりするでしょう。
ここで黒幕が決まれば、後は探索者がどうすればクリアになるかを設定できます。
最終盤はエモいシーンを入れたくなることもあるでしょう。しかし、規定のシナリオでPL達の行動を制限するのは避けた方が懸命でしょう。
PL達はクリア目前でテンションアゲな状態です。そこで意に反するような行動を強制されるというのは水をぶっかけられるようなものです。
エモいシーンはきっとPL達が自由に演出してくれるでしょう。
ただしPLが直接関与しないエピローグのようなシーンでは自由気ままにどんどんエモいシーンを盛り込んでしまいましょう。
舞台のサイズを決める
オチ/黒幕が決まれば舞台のサイズを決めましょう。
上記の黒幕で言えば、前者は人間に対してなにかをしたいということでクローズドになりやすいかと思います。
逆に人間が黒幕のパターンはシティ系が多いように思えます。
当然、孤島のような半クローズドのシナリオも存在しますが、そのあたりは慣れてきたら作ってみるといいでしょう。
プロットの作成
さて、ここまでで黒幕と舞台が決まりました。
これを探索者がクリアできるようにプロットを組んでいきましょう。
ここで言うクリアできるというのは難易度的な意味ではなく、探索者が必然性をもってクリアの方向に向かうように仕向けてあげることになると思います。
とはいえ、探索者の目的意識や志向自体はPLごとに変わるので全てのPLに同じゴールイメージをもたせるのは難しいと思います。
自由度の高さはTRPGのいい点ですが、コントロールに慣れていないうちは探索者をある程度指定してしまった方がシナリオ崩壊の危険性はグッと減るはずです。
プロット自体の立てたは
- なにをすればクリアとなるのか
- クリアに必要な鍵となる情報/アイテムは何か
- 鍵の配置をどこにするか(空間的、時間的な配置)
- 鍵を取得するためのヒントをどこに置くか
- 探索者がクリアを目指すような動機を用意する(生命の危機に晒される、密室に閉じ込められるなど)
ぐらいの流れで作成すればガバの少ないシナリオになるでしょう。
NPCを決める
プロットまで作ればNPCの登場の有無が決められるはずです。
注意が必要なのはNPCが多すぎるとキーパリングが難しくなることや、KPの一人遊び状態でシナリオが進んでしまうことです。
なのでNPCには情報を多めに持たせるか、全く持たせないようにしてしまってもいいのかもしれません。
またNPCの行動やセリフについては細かく決定する必要はないでしょう。
基本的にはPCの行動に対するレスポンスが多くなると思うので、判断基準などを設定してあげるとキーパリングの手助けになると思います。
ここで言う判断基準は物事の好き嫌いや、緊急時の優先順位付けに該当します。
作ったシナリオを見直す
さて、これでシナリオの大部分ができたことでしょう。
最後の作業は見直しです。
見直しとはいえシナリオが面白いとかどうとかってのを考え直すところではありません。
シナリオ中で使われている知識が特別なものではないか、自分の周りだけでよく使われるけど他の人から見ると馴染みのないものではないかという点に気をつけましょう。
そのような知識があったとしても取り除いたり修正する必要はありませんが、補足情報程度は追加してあげるとグッと親切になるでしょう。
シナリオができたら
早速遊んでみましょう。
一緒にTRPGする人がいない?そんなあなたはmohikanzに入ってTRPG漬けな生活を送ろう!
さて、ここまで書いたからにはシナリオ作らねば...
厨二病のための量子力学 part1
緒言
ライトノベルなどで シュレディンガーの猫
や トンネル効果
、 不確定性原理
などの単語を近年見ますが、その使い方は合っているのかなど思うようなところが時折見かけられます。
そこで、それらの物理用語の定義や意味を再度確認していきたいと思います。
量子論とは
量子論の起源としてはプランクが発表した 放射に関する量子仮説
を端として議論をされてきたとありますが、この記事の読者のみなさんはおそらく歴史的な経緯とかは今はいらないと言うでしょう。
ということで、まずは量子力学と古典力学(ニュートン力学)の違いを確認していきましょう。
量子力学では主に量子的な粒子の運動に注目した学問です。
量子的な粒子とは何かですが、一旦は普段触るような物質よりも、それこそ電子のような極めて小さな粒子のことです。
この量子的な粒子ですが、有名な実験としてファインマンが行なった 二重スリット実験
というものがあります。
この 二重スリット実験
ですが、概要としてはいたって単純で、
電子銃から電子を放出し、写真乾板に当てる。 ただし電子銃と乾板の間に2本のスリットが入った衝立を置く。
というものです。
この実験では、写真乾板に電子が当たるとその部分だけ反応して色が変わるので、どこに電子が当たったかわかります。
電子が普段私たちがイメージしているような物体だとしたら、スリットの形に沿った2本の縦線が変色するであろうと考えられます。
実験の結果、電子を1つ放つと写真乾板の上に点として変色することが確認されました。
しかし多量に電子を放出すると、想定に反してスリットの数よりも多い、つまり2本以上の縦線状の変色が見られることがわかりました。
この結果の簡単な解釈だけを書いてしまうと、電子(というか量子粒子)は粒子としての性質と波としての性質があるということが考えられます。
スリットの数以上の痕を見て、波としての性質があるという結論がわからないひとは ヤングの干渉実験
ものを調べてみましょう。
part2以降では、上記の結果に従い波としての性質をもった粒子としての考えを基本として話を進めていきます。